新 寝たり起きたりすわったり

元々は『猪名川タイムズ』サイトに連載してたエッセイを『はてなダイアリー』で継ぎ、『はてなブログ』に移行させた間賀凜のエッセイ。タイトルはサトウハチロー先生のエッセイ『見たり聞いたり試したり』のパロディ。

第11回 『郷土芸術江州音頭二代目桜川唯丸会に復帰報告』を読み返してみたけど…頭が痛いだけだ!

三年前の昨日だったか、↓こんな文章を書いていたので起こしておく。

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昨日付で『郷土芸術江州音頭二代目桜川唯丸』に11年ぶりに復帰しました。

1997年から休会するまでの七年間、唯丸師匠(二代目。初代の事はは【御大】もしくは【唯心先生】と呼ぶ)や叔父弟子の唯清・唯正・唯玉に着いて文字通り、音頭漬けの生活を送り、こうみえても一応若手の一人として薄く注目されていたみたいだった。若手も幅広く、50歳でも若手は若手で20歳でもベテランはベテランとして扱われます。

元々、小学生の頃からバンドを結成し、総ての音楽が面白くないと感じ始めた30歳の頃に、自分の生まれ故郷で古くから歌われている盆踊りの音頭に触れ、親世代ぐらいの人々が訳解らんことに熱い熱気を持って取り組んでいたことに心奪われ、1シーズンの約束で演奏者(1995年は同条件でファンクバンド『ザ・たこさん』が前座として参加してたらしい)としてシーズン終了後師匠に改めて言いに行き、イヤイヤ音楽監督をさせられて、二年間師匠と揉めて演奏をしなかったり、やってきたんだが、音頭指導はして頂けても、楽器や楽曲に対しては与えられたら事を妥協してこなすか、まったく自由勝手に出来ました。

それなりに楽しかったのですが、それなりにめんどくさかったのも事実。十代の頃、嘉門達夫さんや三井雅弘さんにお世話になってたことも大きかったです。

師匠との音頭観の相違、相次いだ尊敬していた兄弟弟子達の引退、または退会などが原因で頼んで破門にしてもらいました。5年後、師匠が破門でなく休会にしてくれてた事を知りました。

が、数年間は音頭を呪い、衣裳類は一切処分して、もう、背を向けたつもりながら、実は聴いたり動画は観てたりして。

その後、淀川徳丸の名前をさる方から贈られて、名乗り出し、ストリートで歌い出したり、仲間のバンドに入ったり、ソロしたり…。

実際に、今年はもっとやることを固めるつもりにしていたんですが、誰かに誉められないとやらないタイプなので、まだ、淀川徳丸といううたうたいが何をやりたいのかがさっぱり解らなかった時にギターデュオ『teru&toku』相方の輝乃丞に相談すると「戻ったらええやん」と言われたのは、私の中では大きく意義の在る助言となりました。プロ志向であり、やはり、お互いに一度はプロへの誘いもあり、友誼を続けていた彼の現実主義は全部支持出来ずとも大きな影響を与えてくれた出来事でした。

それと少し前、ひょんな事から休会中も交誼を頂いてる他会の音頭会の某師匠に

「あんなに革新な音頭でしたのに、なんで変えたんですか?」

と質問すると

「もう、僕もあんまり声も若いときより出ないし歳やしな。やっぱり、初めて覚えた事に戻って行くねん」

と言われ、かなり強い影響を受けました。

 

で、とにかく、仕事(生業)と別で活気のある場所が必要だと思いが至りました。私が在籍するワサンボン5gを基とする総てのバンドが長い長い開店休憩中であり、自分もさっぱりのひとつながら、やっぱり音頭は好きだし、やり残した事がたくさんあったので思い切って二代目唯丸師匠に言うと笑顔で頷いてくださった。

「ああ、一応、前から復帰打診されてたから喜んでくれてるんかな?」

と思いました。

ま、心の中で「上手になりたい欲」と、「死ぬまでやらなアカンなぁ」と『秘密の目標』を想いながら、今後も取り組んで行こうと思うのです。

かといって今までのソロ他の活動も続けて行きます!。当初は兼業は諦めろ言われたが、わたしの場合は音頭一色だとウツになったり、また、前回みたくなるのは避けたいです。前回は考え過ぎました…。ましてや、音頭にそれだけの値打ちはない。と想いながらこわごわ取り組んでいるのです。

幸い、現在は私が入門した頃ほど、音頭に時間を取られる事も厳しくもないと関係者から訊いています。

期待と不安はあるけれど、ま、いいかと想います。

やっと、彷徨から帰還した感じ。

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ま、書いてから三年経ったが、驚いたのは自分が復帰した途端に音頭櫓が前年比の1/4に激減してしまったということで、自分は疫病神なのか?、と落ち込むはずもなく、会の動向を見守ってたんで、ま、仕方ないわ。

で、なにか変化があったか?と言ってもなにもなく、会で意見交換もしなくなったので、音頭熱ははっきり言って無いながら、一番長持ちしてる趣味なのでやってる次第。

嘘なんか書いても仕方無いもんね。

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第10回 紙と電子書籍の売り上げが逆転(2018 02 26 月曜日))

こないだの朝日新聞を読んでいると、紙の書籍よりも電子書籍の方が売り上げを初めて越えたらしい。

かくいう私もスマホ持ち出した頃から、手放した多くの書籍や新刊本を劇画や小説やノンフィクションなどなどジャンルを問わず、年間平均で約20冊購入してる!。

だってぇ、電気繋がってないと読めないけれども、スマホとかSDカードの中に本が何百冊も手のひらの中に収納出来る凄過ぎ感は否めない!

便利なんだけども、欠点があって、なにか引用をする際はあらかた覚えていて該当する部分を、手元に従来通りの紙の書籍としてあれば、サッとしばらくめくれば該当部分が出て来て、引用とか出来るんだが、電子書籍だと付箋を読んでる時に付けるか、読んでる時に簡単な一章ごとの概略などのメモを作成しないといけないので、非常に邪魔くさく、この不便極まりなさすぎな辺りにも、私は電子書籍が完全移行出来ない手応えを感じてしまう。

手軽は手軽に成ってく分どこかで不便に成ってゆく。

例えば再々話してるようにインターネットは意見交換とかの場になり得ても更にな部分は判明しにくいものなのだから。

余談ではあるが、最近、あまり、ダウンロードの音楽を買わなくなった。

それは以前のスマホで聴いてたダウンロードのメインサイト(コナミ)の音楽形式が新しいスマホではフォローされていない為に、自分が持ってた曲はプールされたまま。

退会するに退会出来ない。その辺りの説明がそれまでの担当だったAくんからは無かった。で、彼の先輩のHさんに習った。もう、重ね重ねの失態からAくんは担当から外す。

先代のHちゃんまでは説明があったのに、この専属制もAくんで終わった。

そうして、だんだんとスマホが面白く無くなって行くのは、携帯電話屋は携帯電話だけ売っていれば良いのに、要らんもん(電気とかガスとかその他)を売るから、店員も頭の中が混乱して、本当に顧客が求めるサービス出来てないことに気が回らなくなったんだろうか。

auショップ大阪大和田の初代さん、それから千林初代担当の山中→岡本→上田→H各氏は細やかに携帯~スマホタブレット観てくれてたなあ…。

本当にみんなダメになってく世の中は政治家と若者たち(新人類)がダメだからだろう。拝金主義を経験したけど、死ぬ手前まで落ちないとなんも得れないことを私は知っている。

【追補 2019年5月6日】

その後、Aくんこと明智くん『千林の名探偵』(明智小五郎の出身地が江戸川乱歩滞在時の大阪府守口市に由来)は目覚ましい努力により、この私の不満を解消するに至り、五代目となったのも束の間で『家業を継ぐ』との理由で先日退職され、四代目のH氏が同店に復帰された事に拠って、六代目携帯スマホ担当に復帰して下さったのは嬉しい限りであり、また、彼女は自分の出身地にほど近い地域の出身なので北河内ノリを理解し合え、打てば響くので嬉しい。

(了)

第九回『ほんとのであい、いかされるわたし』(20171208 金曜日)

今回は少し、毛色の変わった話をしたい。

と言っても、この日記の本体の『猪名川タイムズ 門真本社』の『間賀凜のばっきゅ〜んシアター』に関連する話題。

今年も例によって、11年前に手放した劇画と漫画の本を『複数の電子書籍』で買い直したり、何故か九月に父で弊社の楠元政宗会長がレコードプレイヤーを買ってくれ、子供の頃に父と聴いた『麻里圭子とコンアルマ』『小川知子』『初代真山一郎』を聴く日々。

その一方で最新演歌チャートと若手芸人(演歌歌手と演芸と俳優中心)に詳しく、心の中で

「全力マイペースやな!」

と想った。

さて、今年、根を詰めて観たアニメは二本。『南鎌倉高校女子自転車部』(松本規之 作)と『アリスと蔵六』(今井哲也 作)。

二作とも原作も買って読んでいる漫画だが、入口は『南鎌倉〜』は何の気なしに見ていた深夜アニメで、高校中退の自分は、主人公の男女の違いはあるながらも、五人の主人公たちに『カンカンに成って取り組んでいたことに対する想い』があり、ま、それをコロコロと変化させながら生きている。

驚いたのは、好きだった脇役俳優の故広瀬昌助さんと女優の志水季里子さん夫妻の娘(ひとりっこ?)である広瀬ゆうきちゃんが声優として出演していたことが、この漫画に凝り出したキッカケである。

余談だが、御両親の出会った映画を自分は映画ファンだったのでたまたま小遣いを崩して、背伸びしてロードショーで観てるのは単に大阪が舞台だったからであり、二人が結婚し、ドラマや映画で見掛けると嬉しくて小躍りし、子供が出来たと知り嬉しくなったが、昌助さんが亡くなられた時は

「まだ…こども小さいやん…」

と想ったのは、自分も中3で、母を次の舞台に見送り、辛くて泣いた。が彼女が成長し、A応Pというアイドルグループの一員としても活躍するゆうきちゃんであるが、私はA応Pには興味がない。

で、『アリスと蔵六』は、とあるマニアック趣味の友人が、自己のサイトに感想文を書いてたのを読み進みすかさず購入した。

アリスと蔵六』の詳細は、現在また取り上げる予定なんでここには書かない。

で、最近、勤めだしたバイト先で『夜回り先生』というノンフィクションであり、フィクションの本を全巻貰って読んでいる。

原作はタイトル通り、時折テレビラジオに取り上げられる教育界の三大論客のひとり水谷修先生。

他のふたりはオギママこと尾木直樹先生と元文部官僚であり、映画評論家としての方が私的には高名な寺脇研氏。

絵の土田世紀は自分と同世代で最初に死んだ劇画作家…。

夜を舞台にしているせいか、なんだか『深夜食堂』(安部夜郎 作)
みたいなムードが漂う。

そう言えば、バイト先でのこの仕事は初めてではない。猪名川タイムズ副社長の新田(deluxe)宗男の誘いでしばらくやってた仕事だ。

オギママがモデルらしい金八先生

「ひととひとは支え合うのです」

とドラマの中で言ってた。

九年前ふとしたことで知り合った新田の後押しがあり、しばらく止めてたライブで歌い出したし、文章も書くようになった。

高倉健も同じ様な意味の言葉をのこしている。

もちろん夜回り先生も同じ様な発言をしている。

ま、人間はとにかく誰かと支え合うもんなんだろうな…。

※BGM『いいんだぜ』(中島らも)


(了)

第八回 え?『はてなダイアリー』って『はてなブログ』の拡充で無くなるのか?(2017年10月17日 火曜日)

やあ、どうも、ぼくでぃす!

このコーナーはあまり更新する事が少ないながら、長きに渡って『はてなダイアリー』さんの軒先をお借りして書いてるんですが、実は先日、『はてなブログ』というスマホアプリを入れてみて、このページを編集しようと思ってみたんですが、全然、出来なくて、ひそかに泣いていたんですが、つい、さっきのこと…、

☆『はてなダイアリー』と『はてなブログ』は別物です!

という事に気がついて、私、不安に思ってるんです。

というのも、同じ会社で二つのブログが運営されてて、調べてみると、後発の『はてなブログ』の方が、アプリがあったりのかなり拡充がされてる模様であり、これは後々『はてなダイアリー』自体が一旦閉じられてしまい、幾多のブログから此方を選んだ、自分も含まれる幾星霜のブログが灰塵となってしまうのではないだろうか?

と危惧しているのです。と、いうのも去る7月の初めにこちらの『はてなダイアリー』の新規登録が終了されたらしく、恥ずかしながら、この『猪名川タイムズ』も1996年に『asahi-net』をふりだし立ち上げ、『ぷらら』など幾つかのプロバイダを転々と、幸いにデータを移行しつつ存続させ、マシン(パソコン)を一旦手放した時は更新をする事は出来なくなったながら、『infoseek』の無料ホームページサービスに少し前に落ち着き、やれやれ…と安心していたところ、2009年か10年にこの安住の地と想われた『infoseek』の無料ホームページサービスが終了し、10数年間に渡る運営にピリオドが打たれ、それまでの書きためたりした記事が灰塵となってしまい、大層悔しい思いをしました。

そういえば、最近はプロバイダでも、新たにホームページを製作する人々が激減したせいか、『ホームページサービス終了』をする接続会社も増えて来たみたいで、当猪名川タイムズも、メインは潰れなさそうで商用もOKな『fc2』に表紙と数コーナーと掲示板と主要記事を置いているけれども、前出の『猪名川タイムズ消滅事件』がトラウマとなってしまい、最近というか、気が気でないのです。

技術的に統合とかが可能ならば、『はてなダイアリー』と『はてなブログ』を統合して、この先もこの『はてなダイアリー』の記事を存続させてもらいたく、この先も末永く読んだり、書き続けたいと思ってるんです!。

たぶん、自分みたいな『はてなダイアリー』からブログに入った人で同じ様に思っている人って、意外と大勢おられるんじゃないかな?。

だから、とても、ビクビクしていて、『はてなダイアリー』を書いているんです!。

一時期、『ブログの移行合戦』が水面下で流行ってたけれども、結局、移行先が別のブログと統合したり、統合ではなく、前出の様に終了に伴い、書いた記事が、そりゃあ『利用規約』に記載されてるとはいえ、一気に無くなるってのは、ユーザーを馬鹿にしてんのか!、と言いたくなりますよねぇ…(深いため息)。

ま、いわゆる死にブログ(登録して数本しか記事や日記を書いてなくてそのまま放置されてる、運営者側のサーバに負荷の掛けているブログのこと)が増えたりしていて、利益が出なくて、広告収入が得られない運営会社の気持ちもわからないでもないんだけど、これからもビクビクしながら『はてなダイアリー』と『はてなブログ』の動向を観ながら付き合って行くか、物凄い手間ながらコピペして『はてなブログ』に移行するかを考えたいと思います。

(了)

第七回『最近、活字に接してる?』

最近、電車に乗っていて、気が付く事がある。

それは、乗客の八割方がスマホをやっているんで、みんな画面とにらめっこするために首を傾けている。

時折、父(楠元政宗)と電車に乗るのだが、口々に毎度毎度呆れてしまう、という会話を交わしている。

父はそんな風景を見ながら、

「え!この人らスマホでなにやってんねん?」

との質問に

「ネットゲームとか、誰かとチャットと言うて、離れた場所に居る人とインターネットの筆談みたいな事(要するにfacebookのmessengerや、LINEを使ったりしての会話)、あとはオイラみたいに少数派なんだけど、ダウンロードした本を読むとかしてるんとちゃうかなあ…。

あと、窓見てる人らはイヤホンしてるやろ?!。音楽でも聴いてるんとちゃうかな?」

と答えると

「はあ…そうなんかぁ…(^0^;)」

と、半分は理解したような返事をした。

以前、父と見ていた『フランケンシュタインの恋』(大森寿美男作、綾野剛主演、日本テレビ系)にLINEチャットを使って登場人物たちが連絡を取るシーンが頻繁に出て来て、物語の要を語っていたので、父に説明すると納得していたので、半分は理解した、と書いた。

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第六回 没後30周年『石原裕次郎theater(シアター)』がやってくる!(2017年6月13日 火曜日)


石原裕次郎が逝って30年経とうとしている。自分が二十歳になった直後にテレビ『大都会』『太陽にほえろ』や映画(テレビ放映)でお馴染みの裕次郎が死んだのは親子二代に渡りファンだった我が家では美空ひばりが死んだ時と並んで衝撃的であった。

最近、不思議なことに若い友人たちに昭和の暮らしやサブカルチャー的な事を質問される事が多くなったり、平野ノラとか実体験がないのに、自分世代のギャルを模倣したキャラクターーが受けたり、自分自身も、私的青春遺跡を30年ぶりに訪れたりの中二病ならぬ、二十歳病に罹ってしまった自分を自覚したりしている。

よく、多種多様な偉人と同じ空気、同じ世の中を生きた事を誇りに思う、という名言はかなり昔から言われている様だが、裕次郎は兄貴の慎太郎が2017年に現在も意気揚々としているのと比較して、先ほどの言葉の重みと資格を持つ事が理解出来る。

裕次郎が活躍した映画会社日活は、大映同様にして、昭和46年に倒産し、劇場用映画の製作配給を取り止め、ロマンポルノ路線に転換した。

また、そこから新しい歴史が産まれるんだが、それ以後の裕次郎は『太陽にほえろ』の藤堂課長として、また、歌手として継続して大衆の中のスターとして生きて行く。

今回、裕次郎主演に特化した劇場公開映画DVDコレクションが朝日新聞社から発売される。

裕次郎もスタッフたちも人間だから、ラインナップ観て『嗚呼…こんなのもDVDになっちゃうんだぁ〜』という駄作も無くもないが、二十歳の頃、彼の逝去に衝撃を受けた当時の最年少の部類に入る自分としては、裕次郎を回顧するには良い機会かも知れない。

全部はコンプリート出来ないとしても、ものすごくひさびさに心が惹かれるのだ!

うわああああ!楽しみ!

第五回 『遅れてきた世紀末がやってきた…!』(2017年6月8日 木曜日)

ここ数ヶ月、『第二のロッキード事件!』と言われながら『籠池と加計スキャンダル』を稀なる長期政権の安倍晋三首相が深く関わり、便宜として禁止されているはずの謝礼現金を受け取っている事が問題になっているけれど、すぐに退陣しない…というか、出来ない安倍政権。

なぜなら、次に出来る人が、現役大臣も含めて、みんな真っ黒けなので降りられない。といったアホみたいな事情が多分真相なのは間違いない。

海の向こうの近所の韓国では現役の朴大統領が、自分の政権ブレーンのかなり上位に40年、近しく付き合ってきた新興宗教の教主を自分の大統領就任時に就任させたり、便宜を図ったりしたために退陣に追い込まれて取り調べと裁判が本格的に始まった。

もう一つの黒船以降、一時を除いて取り敢えず世話になってるアメリカは先の大統領選でトランプ現大統領側が候補者の時点でロシア政府に援助を呼びかけて同盟関係を結んだり、この件を調査していたFBI長官が、「マズい」と思った大統領から更迭→解任されてしまい、結局、元FBI長官が引き続き精査、現在就任した新長官と共に引き続き調査、捜査する事が決定されるヤブヘビ状態で、世界が『クロか?シロか?』を見守っている。

のだが、多分、韓国大統領も、我が國の元首も、米を野菜扱いして喰わない國の大統領も確実に黒だと思う!

もう、ここまでバレてんだから、ええ歳して二人とも認めなよ…。

日の本の國はFBIみたいな組織が警察庁の中に無いのか(。´・ω・)?。

こんな國だと益々若者たちが将来を悲観して自殺すると私は考える。

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そう言えば、昨年の十月実家に帰った際に近所のコンビニでおやじ狩りに遭いそうになり、慌てて逃げたが、その内ひとりの家は突き止めて仕返しは完遂した。ので、ことなきを得た。

だが、その日の内に中学の大後輩が、私よりも七歳年下の同市内のやや離れた場所にあるお家のお父さんをぶっ殺した。

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それから今年の一月に親子ほど年の違うダチのNくんと遊んで、彼と別れた一分後、大阪府警の旭警察の制服巡査二人(オラオラ系と好青年)に職務質問されて三時間ほど拉致られた。

理由は護身用の特殊警棒を携帯していたからだ。

捕まったのが夜の九時半であり、保釈されたのが午前零時三十分。

私が最初に行ったのは仕事で行路体のお客様をお迎えさせて戴いたとき。

それから行き着けの店で自分が暴れて拘置されたとき。

パルナス次元兄貴が森小路の駅前で倒れてたのを保護されて迎えに行ったとき。

それ以来の数年ぶりの旭署(きょくしょ)であり、


自分を保護したオラオラ系の前出のおやじ狩りしてきたガキと酷似していた、口の聴き方すら知らないポリ公で取調室で自分の経歴をはなした途端にガキが

「お前なあ!」

と言ってきたので、

「お前の認識番号『旭●●●』。2ちゃんねるにさらすんでよろしく、それとお巡りさん、俺のスマホ持って来てくれへんか?」

と自分がいうと、顔色を真っ赤に変えて慌てて出て行き、防犯課の刑事に捜査官が変わった。

刑事は変わり、俳優の故 加藤益博さんにそっくりの刑事さんが来て事情聴取された。

「だから、すぐに私の前の勤め先か、行き着けの店に電話してくれよ!。俺の身の潔白が晴れるからさあ!」

と懇願したが無理だった。

が、しかし、この刑事さん、なかなか話の解る方で、さっきのオラオラ小僧よりもベテランで趣味、こと、スポーツやロボットアニメの話をしてくれた、自分よりも六歳お若い刑事さんと知り、大変良い気持ちの事情聴取を受けられたのは収穫であった。

勿論、特殊警棒は没収され、自分よりも七歳年長の俳優の鈴木正幸様(大森巡査役)激似の巡査部長と私を捕縛した先ほどの好青年巡査とロビーで雑談。

「ま、楠元さん…僕らも御役目の宮仕い。
色々あるから、許してやってよ!」

と巡査部長に言われると仕方がない。

で、もう一度取調室に招かれたので行くと捕縛しやがったオラオラのガキポリだ。

オラオラが余計なひとことを言った。

「御身内の方か御友人の方を迎えに来て頂く訳にはいきませんか?」

今までコイツに対して想ってた事が爆発したので、

「殺すぞ!」

オラオラはギョッとして、慌てて取り調べ室から出て行き、巡査部長と好青年巡査が飛んできてくださり事なきを得た。

高殿の自宅まで、巡査部長と好青年が送って下さり、御二人とは僭越ながら意気投合させて頂いた。

それから、度々、警邏中の二人に会うと今では声を掛け合う仲だ!

EXILEみたいなオラオラは許さないけれどな!。

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この三件の事件は全くの別件ながら、最近の若者たちは欺瞞と暴力といった悪に餓えている気がするのだ。

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みんな必死に生きているが、弱い物いじめも増え、強いものを苛める窮鼠猫を咬む事も起こってる。

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もう、こんな世の中には絶望するしかないのか!?。

宇宙船に攻められないと、この青い地球はひとつになれないのか!?

否、希望を信じることさえ出来れば人はみんな次のsceneに向かうことは出来るはずだと私は自分の肉体が消滅するまでは信じて生きていこうとつよくつよくつよくつよくつよく想った!

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尚、この話には後日談があり、翌日にこれまた親子ぐらい歳の離れたダチのこうちゃんに話すと

「じゃあ、どうやって自衛すれば良いの(。´・ω・)?」

言われて悩む49歳と21歳。

上記の会話の二週間後、我が家にこの特殊警棒は『所持放棄証書』まで書かされたのに、無事に旭警察署から帰宅。

止せば良いのに刑事さんたちが必死に磨いてくれたのか物凄くピカピカになって還ってきたf(⌒-⌒; )V。

(了)