新 寝たり起きたりすわったり

元々は『猪名川タイムズ』サイトに連載してたエッセイを『はてなダイアリー』で継ぎ、『はてなブログ』に移行させた間賀凜のエッセイ。タイトルはサトウハチロー先生のエッセイ『見たり聞いたり試したり』のパロディ。

第七回『最近、活字に接してる?』

最近、電車に乗っていて、気が付く事がある。

それは、乗客の八割方がスマホをやっているんで、みんな画面とにらめっこするために首を傾けている。

時折、父(楠元政宗)と電車に乗るのだが、口々に毎度毎度呆れてしまう、という会話を交わしている。

父はそんな風景を見ながら、

「え!この人らスマホでなにやってんねん?」

との質問に

「ネットゲームとか、誰かとチャットと言うて、離れた場所に居る人とインターネットの筆談みたいな事(要するにfacebookのmessengerや、LINEを使ったりしての会話)、あとはオイラみたいに少数派なんだけど、ダウンロードした本を読むとかしてるんとちゃうかなあ…。

あと、窓見てる人らはイヤホンしてるやろ?!。音楽でも聴いてるんとちゃうかな?」

と答えると

「はあ…そうなんかぁ…(^0^;)」

と、半分は理解したような返事をした。

以前、父と見ていた『フランケンシュタインの恋』(大森寿美男作、綾野剛主演、日本テレビ系)にLINEチャットを使って登場人物たちが連絡を取るシーンが頻繁に出て来て、物語の要を語っていたので、父に説明すると納得していたので、半分は理解した、と書いた。


実は自分の身の回りで父と同世代人でスマホを使いこなされてるのは、初代桜川唯丸師匠と初音家石若師匠しかいないながら、終戦前後(1945年)生まれの人々からは格段にスマホ使用者は急激に上がる。

二代目唯丸師匠と辺高正兄貴はスマホ使用者だ。


思えば、身の回りで初のスマホ使用者は、八年前(2009)当時のバイトの先輩の程廣俊くん(中国大連出身)で、しきりに

「おっさん!スマホに変え!。オモロいで!」

と達者な日本語で耳元で囁いていた。彼にスマホを初めていじらせて貰った時の衝撃は忘れられず、二人で休みの日にアメ村でスマホケースを売ったのは良い思い出だ!。

二度目は2012年に輝乃丞がスマホを買った時に

「ま〜さん、あれは手のひらサイズのパソコンや思い!」

と言われて心が動き、満を持して2012年9月にauショップ千林のだんじり娘こと上田嬢の斡旋により、耳なじみの無かったHTC社の沿革を習いスマホを購入。

で、現在の二代目もその数年後に同店のサトエリもしくは『もーれつア太郎』のデコッ八(声 加藤みどり)こと山中嬢の斡旋で購入した。


購入した日に、共に『ガラケー主義』を標榜していた拙ユニット『因果者兄弟』の藤村卓也に『ゴメン!』とメールすると『仕方ないよ…』との返信に痛み入り、輝乃丞の言葉通りにちっさいパソコンことスマホは、自分の想像を大幅に超越した威力を発揮!。

まさに

『トリコ仕掛けの明け暮れ』

で、すぐにフリックを特訓し、二週間ぐらいでほぼ使いこなせる様になった。

仲間内では切り替え者としてはパイオニアの部類に入り、OS(iPhoneAndroid)の区別や様々なスマホの利点とスマホの欠点も人に薦める際の相談も数多く担当した。

このお節介はおそらく生きてたらスマホを使いこなしていただろう、新しもの好きな母千鶴子の遺伝子が作用してるんだろう。

で、政宗と昨年逝去した義母Y子夫妻にも啓蒙。便利さは理解したが、頑なにスマホに変更する事は無かったし、こと、政宗はメール打ちすら覚えようとはしない。

ま、父ちゃんは若い時から、カセットデッキ、家庭用ビデオ、音声多重テレビなどなどの取扱い説明書を読まない人なんですけれど…。本の虫なのに…(^0^;)。


その本の虫の政宗は押さえ気味ながら

「これも時世時節の移り変わりなんやろうけれど、なんて、言うのかな…。グループでの会話も少ないし、新聞とか本読んでる人もおらんし…物凄く気持ちが悪いのお…」

と、なんだか少し寂しそうに語った。

だが、私自身もめっきり、普通の書籍を購入する事なく、手軽で紙媒体よりも安価な電子書籍で一旦手放した本や、友人知人に薦められた本を購入する事が多くなったのは、わざわざ書店に赴く事無く、電子本が買えて、しおりや拡大などが自由自在の電子書籍に頼ってしまうんだろうが、便利さを取ると捨てがたい。

ダウンロードする容量も少ないし。  

だが、悲しいのは、余り本を読まないので、老若男女問わずに漢字を読み書き出来なくなっているかも知れない、と、周囲の人々とチャット筆談する事が多々あり、自分的には日常的に使ってる言葉なのに、『どんな意味?』といった返信が物凄く増え、それにいちいち答えるんだが、そうした行動が実は億劫ではっきり言うと『しんどい』のだ。

映画評論家寺脇研が提唱した『ゆとり教育』の弊害なのか!?。

それとも少しずつ各種SF物語でしか登場しなかった出来事が日進月歩で現実化し、それにより人間たちが適応しているに過ぎないのか!?

浅学非才な私の頭をひねったところで、『これでいいのか?世の中は…』との問い掛けの答えは出てこない。

千鶴子に言われた座右の銘的な言葉でこの稿を閉めたいと思う。

『人は人。自分は自分』

(了)