新 寝たり起きたりすわったり

元々は『猪名川タイムズ』サイトに連載してたエッセイを『はてなダイアリー』で継ぎ、『はてなブログ』に移行させた間賀凜のエッセイ。タイトルはサトウハチロー先生のエッセイ『見たり聞いたり試したり』のパロディ。

第22回 ある知人を悼む(Yくんへの手紙)

前略、Y様

 

あなたが去る4月に亡くなられてたことを、昨晩、今も交流のあるNくんからのメールで知りました。

 

私自身、二十世紀の終わりに、あなたが主催していたグループで、趣味的に活動していた四半世紀前の事が走馬灯のように思い起こされます。

 

あの頃は今みたいに各種SNSも作られていなくて、電話、手紙に次ぐ、コミニュケーションツールとして、パソコン通信(富士通の運営するニフティサーブNECが運営するPC-VAN)が脚光を浴びていた末期、私はあなたと、とある映画に関するフォーラム(サークル)であなたと知り合い、年齢も私が1歳上なのと、同じ関西在住なのと、割とコアな映画の話で盛り上がったのでしょうか!?意気投合して、そのサークルの創立メンバーのひとりとして活動してましたね。訃報を知らせてくれたNくんはここで出会った数歳年下の友人になってくれた1人です。

 

あなたはリーダーとしての資質は私よりもあったと思われます。

 

ただし、コロコロと変わる側近の意見を重視しすぎて、コロコロと変わるあなたの指針に振り回される事が嫌で、私を含む初期メンバーがまず真っ先にあなたの元を離れ、次いでオーディションや面談で募った、メンバーがひとり、次は2人と倍々ゲームみたいに離れ、その都度、元々いたメンバーがいなくなり、入れ替わってしまったのは、あなたの人間としての資質と、あなたの人間としての未成熟さと、あなたの人間的な底の浅さを露呈するものであったと思い起こすのです。

 

あなたの好きだったザ・真心ブラザーズの歌で、『友達や知り合い、恋人は、その都度都度にコロコロと変わる』と言うのがありましたが、本当にあなたは、私の周りでも稀なこういう人で、結局、底の浅さを、サークルの人々の様々な年齢層の人に見透かされ、ひとつのグループが解散すると、今度は解散した理由を知らない新しい自分の支持者を集めては解散する、を繰り返しておられた様子。

 

あなたは反省もしないし、自分を変えようともせず、結成時に流行りだした『Remix』という言葉で巧みに逃げ切り通せたものの、あなたの言葉に振り回された人々が、その都度いて、また、あなたが、さも初めて使ったと言っていた言葉は、実は以前から恒常的に使われていた言葉だと、当時の私や、少し年下の大学生で、そろそろ五十時の声を聞く年齢に達した青年たちは、あなたよりすでに社会経験が豊富だったことを一言付け加えておきましょう。

 

あなたは共に活動していた当時から、私や他の仲間たちの活動を認めず、下に見ていましたね。口では一定の評価を与えてる様で、そのくせ、まったく理解していませんでしたね。否、理解したくても、理解力に乏しかったんですよね。

 

多分、あなたは最初に高みに登っちゃったんで、そうした人たちの気分とか熱意…例えば、私や別の仲間たちが、どのような気持ち…各々が楽しみや熱意を持って表現した企画(ライブや展覧会など)の意味を理解しようとしなかったんですね。

 

あの頃から、もう少し、他人の気持ちを思いやる事が出来て、他人…意見が分かれる人の話を聞く耳を持つことが出来て、自分で考える理解力を持っていたならば、あなたはもっともっと人間力に富み、あなたが思い描いた理想の様に、一流の文筆家や評論家にもなれたかも知れない、と回想するのです。

 

幸い私や他の仲間たちは、あなたに出会う以前から、自分の頭で考え、また、他の仲間たちに支えられて乗り越えて、必死の思いで、変わらず活動しているのです。

 

あなたは、私やあなたの元に集った仲間たちがそうして頑張ってることなんて、ご存知なかったでしょ?。

 

ま、面白い経験はたくさんさせてもらったけれど、あなたとの縁が切れたことは、まあ。なんというか、必然だったんでしょうね。

 

別に離別後に今後、会う事も無い…と思ってたけど、訃報聞いてから、あーいなくなっちゃったんだな、蜜月時代は度々ウチにも泊まりに来たり、遊びに来てくれたり、一緒にいくつかのライブとか一緒に行ったなーとか、思い出します。

 

Yくん、やっと、解き放たれたね。

安らかに…慎んでお悔やみ申し上げます。

 

合掌…礼拝…