もう四~五年の『三四郎のオールナイトニッポン』のリスナーなんだけど、音楽歴五十年、バンド歴41年なのに、今のよく、聴いているのがしゅーじまんこと相田周二の『standby』。
とても、良い曲というよりも、自分と組んで作詩をしてくれていた故飯塚銀次の詩の世界にとても似通っていて、飯塚と一緒に聴きたかった逸品だ。
それからナツメロパロディーの名手の中村田隆一と組んで活動して、飯塚の葬式以降、会わなくなってしまったが、
「もう一度、ゼロから再生する最後の機会なんじゃないだろうか?」
などと密かに想っている。
一昨年(2018=平成30年)の秋から一年間、あうんさん・すうじぃの紹介で出させていただいている『上町台地のブルースマン』ことささきたかしさん主催の難波之宮跡公園大極殿跡で催される『王様の歌』に出て、自分の至らなさを恥じ、今年に入って、数年ぶりに爪を噛む様な暮らしに図らずも戻ってしまう。
このままで良い訳もなく、ここで共演するミュージシャン全員に熱意の上でも技術的にも負けてると感じて
『キャリアだけ古くてなんも無いの』
になっている自覚が私を締め付ける。
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さて、私は嘉門タツオさんに付かせて頂いてた頃(1983-89)に、曲を聴いていただき、
「もっと情景が浮かぶ曲を書け!。自分の感覚に酔っててはいけない」
と言われた。が、我が強いのでそれを改めなかったが、少しずつ本を読んだり浴びるほどのノンジャンルでオッペケペー節から昭和歌謡、パンクロック、ビーバップジャズ、フリージャズなどなどを聴いて改めたりした。
それから8年後(1997年)に作術は変えないで作り替えた(曲は半分ぐらいは同曲)デモテープ『What's BATAYAMA』を作ったらまさかの好評というより、好きと嫌いが、まっぷたつとなり、二度目の上京の話も出たが、その頃は
「すでに大阪で頑張ろか」
とか考えてたので遺憾ながらお断りした。
その後はデモテープらしいデモテープはほぼ作ってない。
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さて、話は横道に逸れたが、軌道を戻そう。
このしゅーじまんの『standby』を聴いていると、初めてのバンド『横之内玄造と士農工商』を組んだ12歳から、唯丸会に入るまでの紆余曲折を経た18年間持ち続けていた音楽や表現に対する情熱みたいな感覚を思い出す、素朴な心の詠唱を呼び起こしてくれるのである。
これは『王様の歌』で共演した方々の曲を聴いていても同じ感慨を呼び起こしてくれるのである。
だから、音頭は欲しないけど、ロックンロール、ジャズ、フォークなどなどの音楽に心揺さぶられるのだ。
意外と同じ感覚で大阪江州&河内音頭をされてる師匠方や先生方は多いと想う。
わかんないけど。
ま、そんな感じで心は原点に戻りつつあるのだ。
(了)