新 寝たり起きたりすわったり

元々は『猪名川タイムズ』サイトに連載してたエッセイを『はてなダイアリー』で継ぎ、『はてなブログ』に移行させた間賀凜のエッセイ。タイトルはサトウハチロー先生のエッセイ『見たり聞いたり試したり』のパロディ。

第13回 勤務中に事故ってしまう (2018 0831 金曜日~0927 木曜日)

2018年8月30日木曜日の朝10時半頃のこと、生業として勤務しているリサイクル工場での構内作業中に事故に遭った。

 

実はこの会社は明治18年(1885年)創業というから、私が勤務してきた会社の中でも、大阪三菱倉庫内旭菱倉庫(明治初期/前身の中谷運輸は明治中期)、西口共栄社(1913=大正3年)と同様に老舗の会社と言えるんだろう。

 

業務内容は印刷屋さんから籠パレットと呼ばれる金属製のパレットに入れられて入荷する、印刷済みの裁断された印刷物(パンフレット、ポスター、小冊子など)の余白部分を紙の種類別に選別して、ベーラーという大型圧縮機械のベルトコンベアに入れて行くという仕事(別にこれだけではなく、間もなく約一年経とうとしているがまだまだ未熟者だ)で、この時はこの作業を続けていた。

 

で、選別が終了した空いた籠パレットを四段に重ねて、フォークリフトで移動して、所定の位置に置いて、再びトラックに載せて工場に戻って行くんだが、その籠パレットの一番下の枠が全てグラグラに外れていた為に、移動の際にバランスを崩して落ちて来た。

 

崩れ始めた瞬間にかねがね御世話になってる、フォークリフトを操縦する同工場のM工場長や、共に作業しているT先輩(師匠)がベルトコンベア内で作業して選別している私に向かって有り得ないぐらいの大声で

 

「まがちゃん!危ない逃げろ!逃げろ!」

 

と、急に叫んだんで、

 

「なにかいな?」

 

と思い声のする正面を向くと、先に書いた四段パレットがこちらに向かって崩れて来て、下から三段目に直撃する位置で、ひさびさに『死』を意識して、前に逃げたが、この時に身を挺したT兄貴がけどばしてくれたおかげで、幸い一番上のパレットが左後頭部に直撃し、久しぶりに『目から星が出る』経験をして、ベーラーから上がってからうずくまり、

 

「ま、大丈夫やろう…」

 

と思い、なんかわからない状況だったので、静かにしていると、今度は二人が

 

「血!血!」

 

と叫び、工場長はT先輩に止血するために寄り場(事務所)からタオルを取ってくるように指示し、患部がわからない中、タオルを取ってきた先輩が抑えてくださる位置を緩く抑えて、パッと見ると、大量の血が流れていたが、

 

「またかよ…」

 

とつぶやいた。

 

というのも、以前、飲食店で雇われ店長をしていた時に酔客にビール瓶で頭を割られたり(検査なし)、倉庫構内での作業中に木製パレット上の商品(白物家電)が崩れて足を直撃(労災)したり、また、現在の家に越してきた十年前にペティナイフ包丁が足の上に落ちて、床が血みどろになった(自然治癒させたった!)、などの経験があったので上の様なつぶやきをしてしまった次第。この手の話はまだまだあるけど自慢がましく聞こえたらばアカンのでクワバラクワバラカズオ(桑原和男)…。

 

取り敢えず、先輩が介助してくれつつ寄り場兼事務所に歩き、物凄く冷静に自分の携帯電話から119番に連絡している私を見ながら、気を遣いながらも驚愕される工場長とT兄貴(師匠)。

 

こちとら、18歳になったその日からの一人暮らし!(故上村一夫先生大好きなので但し、『愛の暮らし…同棲時代』は除く)なので、もう、初体験ではなく、電話してから三分で無事に勤務先に来てくださったのは、消防署がバカ近くだったことが幸いし、間賀凜史上最速の3分20秒でやってきた。

 

で、程なく工場のねき(根来)の大阪府東大阪市の某川病院(仮名)に救急車で搬送された車中、救急隊員が頭を包帯をぐるぐる巻いて止血してくれた。

 


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救急隊員と病院の男性看護士に促され、私はCTスキャンダル…紀…CTスキャンで頭部と全身に異常が無いかレントゲン写真を撮ってもらい、ようやく診察室に通され、脳外科医に説明を受け確認して、5cmに渡って裂けた頭部の傷を縫ってもらう。

 

現代は昔の様に手縫いではなく、直径2~3mmホッチキスで止めて行く。初体験なのでワクワクしたので痛みはさほど感じないながら、頭蓋骨を打つ度に『コツン』と音がする瞬間はそれなりの痛みが全身を貫いたが…。

 

身体を治療のために縫ってもらう事は、不定期に経験する。

 

最初は1973年の4月の金曜日に右手中指を当時住んでいた門真団地B-19棟の206号室の金属製の玄関ドアに挟んでしまい切断。たまたま会社が休みだった父が、生まれて経験した事の無い、痛みから来る大号泣する私の血まみれの右手中指を大量のティッシュで抑えながら、救急車を呼ぶ間を惜しみ、徒歩二分の消防署(1971年建立。 2018年4月頃、移転した)に連れて行かれ、まだ、ライトバン型だった救急車で、当時の門真市東部で救急指定だった巣本の『安井病院』(2018年現在、現存しない。建物は老人ホームとして現存)に連れて行かれ、安井院長の執刀で縫われ、実に半年間同病院に通って完治したことに始まる。

 

この時に印象深かったのは、安井院長が、余りの痛さに麻酔抜きでバタつく五歳児に

 

「男の子やったら、もう少しジッとしとかんかい!(バシッとたたかれる)」

 

と、何度も仰ってたことだろう。あれから45年が経ち、医療も幾分進歩したんだろうが、縫う場所と神経がもろに繋が(ってて、そこを縫っては切る、縫っては切るを繰り返す度に、想像を超越した痛みが全身を貫く。その度に身体をバタつかせていたんで、看護婦さん三人がかりで抑えつけられてた。

 

寒くなると、現在も緩やかに右手中指が疼く度、安井院長に感謝している。

 

 

で、話を先日の事に戻そう。

 

同病院の脳外科医師のお見立てで、来週の金曜日(9月6日 金曜日)の午前中に、抜糸してもらう事が、程なく決定して、

 

荒本近辺の大阪王将で昼飯喰って、駅前でタクシー拾って程なく工場に戻った  

 

あまりに恐縮し過ぎる工場長(お前フォークリフトの運転下手すぎやねん。何年乗っててん_怒)、凄く心配してくださる出入り業者のお兄さん方とT兄貴(師匠)!。

 

某川病院から戻った自分は、その日一日中、工場長(無責任の手本。クズ)は外回り、人手が無いのでT兄貴(師匠)に心配されながらも、その日は、定時よりもやや残業して帰宅した。

 

で、帰宅して、翌日は様子見の為に休む様に、で、土曜日は出勤の前提ではあったが、当日の朝方にいつもと変わらぬ時間に片町線の放出駅前を通過する直前、放出駅前の奈良時代前後ぐらいから有る神社の手前で急に傷口起点の頭痛が起きてしまい、這々の体で親方に電話。

 

本来ならば土曜休暇で伊勢神宮に所用で向かうT先輩(師匠)が特急乗車券を払い戻してまさかの休日出勤(芸人で言えばトラ=代演)で自分の代わりにしてくださった<σ(^◇^;)m>。


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時は流れて先の日曜日(9月23日)に起きた時に傷口起点の痒みに気付いたが、さほど気にもせず。

 

それから、その痒みは痛みと変わり、つい昨日(9月26日 水曜日)の作業中に傷口起点で左頬まで微熱と鈍痛を発し、それをT兄貴と事故当時に居なかったプリンスM(インテリの年下の先輩)に伝え、終業一時間前に早退準備をする。

 

事務所で早退準備中に某川病院に連絡すると

 

「ああ、そういう具合になり、ジキに治ります」

 

と軽くあしらわれた感じで言われキレて電話を切り、

 

次に通勤路途中にあり、数年前にこれまた救急搬送してもらった経験がある城鶴脳外科病院(仮名)に電話すると

 

「脳外科医と面談で話は訊いてくれる」

 

というので、退社して行く。

 

※※※※※

 

城鶴病院に到着後、待合室で問診表を書いてると、警察官二名がなんか事故で担ぎ込まれた人の親族にあれこれ質問していたり、

 

明らかに高いびきをしてて、人工呼吸器や心電図とかを装着された意識不明患者と思しき人がストレッチャー(車輪付き担架)で往復したり…して、自分の頭に激痛も続き、益々『死への恐怖』が高まってしまう。

 

で、診察室に行き、医師の先生に前出の事情を説明すると、

 

「私も二十年、この仕事をしてますが、間賀さんの様な症状は初めて伺いますので…」

 

と言われて絶望感は増大するかと、思いきや、この先生が面と向かって誠意でお話下さった事がうれしくて少し気が紛れ帰宅。

 

 

で、今日、自分が葬儀屋稼業時代に出入り業者としてや、多くの身の回りの人々が入院したり、次の世界に旅立ったりした北河内の地域医療の総本山的な病院のひとつの関西医大滝井病院に行き、ここの大学病院の助教授で見た目『白い巨塔』(小説 山崎豊子 原作)の主人公の財前五郎風味の先生に説明して、改めてCTスキャンダル…紀…CTスキャンでレントゲンを撮り再び診察してもらうと

 

「患者さん(私の呼称)の症状は、事故直後1ヶ月~長い人で3ヶ月は出る症状で痒みも鈍痛も、間違いなく治まります!」

 

と断言されたので、会社に報告して、明日から出勤する。

 

(了)