新 寝たり起きたりすわったり

元々は『猪名川タイムズ』サイトに連載してたエッセイを『はてなダイアリー』で継ぎ、『はてなブログ』に移行させた間賀凜のエッセイ。タイトルはサトウハチロー先生のエッセイ『見たり聞いたり試したり』のパロディ。

第12回『オウム真理教死刑執行によせて~我が信仰遍歴』

昨日(2018年7月6日 金曜日)午前中、1995年に首都圏で起きた『オウム真理教サリンテロ』ほかでおなじみの麻原彰晃率いるオウム真理教の死刑囚たちが七人が一斉に処刑された。

 

自分とオウム真理教との出会いは、父の再婚(1986年5月中旬)と密接な関係がある。というのも、実家では父とその再婚相手の義母(y子 2016年5月30日 月曜日 死去)が東京の蒲田に本部を置く、弱小新興宗教の会員であり、自分が19歳~20歳に掛けて、彼らによって執拗な勧誘を受けて心は疲弊していった。

 

父と義母から手渡される彼らの信仰の場で教祖と呼ばれる人物が書いたとされる、テキスト本を数冊読んだモノの、どこかの別の既成宗教のパクリ的な話しの羅列と、心の琴線にまったく響かない、オモロない話の連続で、すぐに放り出して、自分が間違ってるかも知れないと、心配になり、面白がって、故飯塚銀次と中村田隆一や当時師事していたレイモンド山下師匠や当時の同僚の方々にもそれらの本を読ませると、自分同様に

 

「緩くて、軽くてリアリティに欠け、説得力は無くて宗教としては余りにも稚拙過ぎる。美輪明宏の発言の方が強く説得力がある」

 

と言われ、自分の想いと、余り変わらない感想を持った。読んでから30年経った2018年現在でもこれらのテキスト本が教材として読まれ続けているのは溜息しか出ない。

 

余談ながら仕事の為に、葬儀屋社長でブルース歌手の金子マリさんも元キャンディーズの故田中好子さん(スーちゃん)も一時期会員であり、キャンディーズ末期から入信していたというスーちゃんは教祖に「不倫はお止めなさい。幸せになれないから…」と言われて、即座に退会して夏目雅子の兄と略奪婚みたいな形で結婚したが、「教祖さまの言いつけを守らなかったから子供が出来なかったんや !」などとうそぶく義母の発言に十数年後にイラついた事を深く記憶している。

 

ま、とにかく、その会はアホみたいなので、違う宗教を自分もやろうと試み、天理教創価学会などなどの信仰を勉強したが、なんかどれも嘘臭くて、自分の求める信仰観に合致する信仰は皆無だと結論付けることになるのだが、後に仕事の関係でPL教団に帰依すること(2007-08年)に成ったが、ここでも幻滅してしまった。PLランド跡地とPLの塔に三十年ぶりに訪れたことと、PLの花火大会をかぶりつきで見れて、その際に後の大リーガーの前田健太選手がルーキーのまだ身体が出来てない時に握手出来たのは珍しい思い出となったのは付け加えておこう。

 

そんな二十歳ぐらいの頃に、タウン誌の『プレイガイドジャーナル(ぷがじゃ)』か『Lマガジン』のどちらかに、『オウム神仙の会』の体験講演がSABホールであるとの広告を目にして、古代人みたいな装束と髪型の日本武尊とかを意識したスタイルの麻原彰晃が、なんとも神々しく見えて

 

「あ!これかも!。自分の求めていた信仰って。おお!ヨガもある!レインボーマンや!」

 

と喜んでみて、当時師事していた山下師匠にこのイベントに行きたいというと、

 

「なにを眠たいこと言うてんねん。日曜と祝日は稼ぎ時やど!何のために月に8-10日ライブ行く為に早退けされたってんねん!」

 

と言われて諦めた。

 

この時、執着してオウムに入ってたらば、ひょっとしたら、昨日、自分も処刑された…否、もっと前に仲間内リンチで処刑された。かも知れない。

 

人間の分岐点はかなり時間が経過してから、「あの時、こうしてれば、または、ああしなければ、今頃はこんなに苦労してないのに…」と年齢を重ねる毎に思う様になった。

 

その後、昭和から平成になる時期にオウムは『別冊宝島』で宗教学者の島田裕己が体験修業してオウムの世間的知名度アップに貢献し、それを面白がって秋元康とんねるずが『生でダラダラいかして!』(日本テレビ)にゲストで呼んだり、『朝まで生テレビ』(テレビ朝日)では、新宗教の論客のひとりとして熱弁を奮う麻原を宗教人ではなく、「マスコミが紹介して世間が面白がってる人のひとり」として見ていた。

 

だが、なにを勘違いしたのか麻原は、お金も集まり、兼ねてからの麻原の夢だった政界進出を果たすための選挙に出て、自信たっぷりで『当選宣言』を語っていたが、上の事情であっさり落選。で、松本サリン事件と地下鉄サリン事件を起こすって、一角の人物がすることじゃないと思うし、この事件のおかげで大小の新興宗教が全部カルトと見られてしまう事態が起こった。

 

 我が家ではまだ両親が栃木県の先に書いた、新興宗教の職員として生活をしてたので、この事件について幸いにも意見を交わす事は無かったものの、自分と父の兄弟からは同じ様にカルトとして見られてしまう始末。

 

あと、新興宗教の常套手段である後出しジャンケン的な

 

ベルリンの壁が無くなったのは、一生懸命に在ドイツの信者さんがお水取り(という、御神水という彼らに取ってはありがたい水)を撒いて平和を祈念したから!』

 

と会報に掲載しちゃう大人げなさは大爆笑のネタとなる。

 

それと、新興宗教も思想の世界も

 

『たくさんの周囲の人たちを会員にして、その数が多ければ多いほど出世する』

 

ということを発見してから、宗教活動と思想活動は一切してないながら、葬儀師に成って以降、色んな新興宗教を体験してかじってみる新興宗教活動は継続中であり、現在もいくつかの信仰の幽霊会員は続けている。安心して欲しいのは、自分は誰かを誘う事は必ずやらない。それは自分自身が若い頃に無遠慮な方法で父と義母に彼らが信仰する新興宗教の入会を執拗に迫られたからであることはひとこと言って記しておこう。そもそも、葬儀師になった理由のひとつに「両親を宗教観で論破する」ということで、素養もあったのか、数ヶ月後には父も義母も論破出来たのは、そもそも彼らの信仰観が浅くて薄いモノだからだったからだろう。でも、そんな信仰に父と義母は支えられて、救われたのは真実なんだから、「ま、いっか。他人事だしね!」で済ませる事がようやく出来る様になったのは葬儀師として生きる事が出来たからである。

 

葬儀に数多く携わる事に両親や親戚で帰依している人たちをようやく理解出来る様になったのはいうまでもない。

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さて、オウムの場合は特殊なのかと言えばそうでもない。もし、二十歳の自分が入信していて、麻原を『尊師』と呼ぶほどに帰依していれば、それは私自身に限らず、誰しもがサリン事件に加担していたかも知れない。

 

千石イエス氏も前出の家の両親が帰依してた教祖も有名大手新興宗教の教祖や会長と呼ばれる幾星霜の人々も置き換えれば尊師と呼べるだろう。

 

私的には生業でのレイモンド山下(コック時代1985-92)、レイモンド福本(フォークリフトオペレーター時代 1990-97)、故バカボン岡野(葬儀屋時代 2002-17)の各師匠と芸の上での嘉門、三井(1983-から飛び飛び)、二代目唯丸、唯清、唯正(辺高正)1997-、初代唯丸1999-と故庄内斉2008-15、各師匠がこれにあたるが、その師事していた時期の、のめり込んでる時に、その指示を受ければ鉄砲玉になることは、恥ずかしい話、幾度か在ったんだが、その度に尻拭いをして下さったのは上の方々であり、上の順番は生業と芸の区別はしてるものの、師事した順番通りである。

 

あと、庄内師匠や御大(初代唯丸)に繋いで頂いたり、自分で勝手に繋いだ先生方もいるが、余りに多すぎるので割愛するが、誰がカバやねんロックンロールショーとヒカシューRCサクセションを聴いてコミックバンドを率いた事はまったく無駄では無かった事も一言付け加えておこう。

 

明らかに三井兄貴師匠の率いた『ITACHI!!!』(TOPSに非ず)は自分の日本のロックンロールを深く聴くきっかけとなり、江州音頭会入会の端的な最初の出来事だと振り返り思えるのは、取り敢えずやってきて無駄ではなかった、と言えよう。

 

面白くて、特筆して於かなければ成らないのは上の師匠方の殆どがどちらかと言えば無神論者であり、また、彼らはそれなりにその個々の世界で人望のあった、またはある方々というのも、上の方々が人として生きる自分の道を教えてくれたリアルな師匠方である。

 

音頭の世界は比較的に閉鎖的であり、自分は他会派の師匠方、お弟子方とは殆ど交流が出来ない…ことはないが、これは、そういう風に二代目唯丸会で躾られているからで過ぎず、顔と芸名の一致しない人々とは交流してはいけないんだと想っている。

 

例外は当代の吾妻家安丸師匠はネット黎明期(1999年頃)にネットでご縁を賜り、現在に至るお付き合いを僭越ながらさせて頂いている。

 

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私は日頃、音頭が嫌いだけど聴きたいし、上手くなりたい、と感じているのは、これらの師匠や先輩方や同僚や後輩方にノンジャンルで支えて頂けているからだと、五十路を過ぎてしみじみ思う。

 

御大もいい加減ながら、

 

『どんどん芸人やったら、手前(自分自身)を売り込めや!。なんでもええさかい、手前が動いてたらワシがNHKとかミューマガとかで取り上げられる事あらへんかったて思うで!』

 

との言葉はなかなか出来はしないながら、芸人としての私の最新の座右の銘と成っている。

 

自分が求めれば、きっとなにかが掴める。

 

オウムの死刑囚は、端から見れば不幸かも知れないが、殉教出来た内の何人かは幸福だったのかも知れないね。

 

とイメージするしか無いだろう。

 

(了)