前からの知人友人、ファン(おるのか?)はお馴染みなのだが、実は私、郷土ふるさと大阪府門真市に江戸時代末期頃から歌い続けられてる盆踊り歌の江州音頭という漫才の元芸のひとつの郷土芸能を26年前の30歳(1997年)の秋頃からやっているが、今日(2024年2月18日)の練習で新人の時(1999年の春先)…24年ぶりに入門した二代目桜川唯丸&唯清両師匠(おやじ)と叔父弟子(兄貴)唯玉に
「また、一本調子のイキった(自己満足)の音頭に戻ってる。声が張り上がってて、情感も無く一本調子の音頭で耳障りが良くないのに戻ってる!」
と言われた。
多分、ほか3人の姉弟子らもレギュラーゲスト(ギタリスト/ベーシスト)の李庸恩さんもそう思ってたけど言わなかったんだろう。
ハッキリ言って屈辱的に考えてる反面、以前(24年前)の宣言者の3/4人に言われたのだから、芸が後退してしまったのだろうし、この3人に言われたのだから正しいと思うのだ。
実は一身上の都合で2004年に退会(破門と思ってたら休会扱いやった)して、11年後、先に退会した叔父弟子に懇願されて固辞したが押し切られて復帰。
が、しかし、休会中は唯清師匠のグループで伴奏者兼音楽監督(私はキーボーディスト兼ベーシスト/ギタリストとしてゲスト→入門)してたし、唯丸師匠以外の筆頭弟子の唯由里姉とも、あまり切れることも無く、音楽と音頭で休会中は交流は続けていた。
2014年は2日だけ手伝いに行き、翌年、復帰するも3年間、怖くて怖くて音頭は取らずにベースとギターばっかり弾いてた。
私が入門した理由は、『楽器演奏者がいないので探している』と言われて呼応。叔父弟子らが耳元で「音頭やれ!音頭やれ!」と囁くのでその気になって入会。
会としてもキーボード、エレキベース、エレキギターが弾けるので都合も良かっただろう。唯丸師匠と度重なる対外的な軋轢もあり、1999年と2001年の櫓では楽器を演奏しなかった。
理由は、唯丸師匠が連れてきた演奏者と音を合わせても上手く演奏出来なかったからだ。中も悪かったし。そのくせ、他の演奏者の兄姉弟子とはスパーンとハマってた。
というのも、私は慎重居士で、石橋を叩いて渡るタイプで、音頭取りに復帰したのも、時間合わせで入門以来四半世紀、本ネタの『関取千両幟』も敢えて完成させなかったのは、音頭取りとして、年数ばかり食ってて、身内(師匠らと叔父弟子らと姉弟子ら)にも年数長いので今更聞けない…というのと、自分自身、この郷土の歴史を知るためのキーワードである『江州音頭』に飽きて来た、というのも、私がこの芸能を足踏みしてきた理由である。
で、今日、自信満々で音頭取ったけれど、あの入門二年目以来、師匠と叔父弟子に言われたことを二十有余年ぶりに言われて凹んでいる。
自己分析すれば理由は簡単。
自己満足して
「オイラの音頭上手いやろ!オラ!聞かんかい!オラオラ!」
という態度が20数年前同様に出てるんだろう。
もう、辞めちゃったけど、以前もそう言った姿勢で江州音頭を取ってた兄弟子がいた。可愛がってもらったし、芸人としての姿勢も持ってた立派な兄弟子だったが、結局、彼は先に書いた様な姿勢で『芸』を捉えていたので自滅に近い状況で知らぬ間に退会された。
『驕り』を持っていただけなのに…、それを当時の会員全員が分からなかった。否、師匠も叔父たちも
「社会経験も豊富な生活者だから気付くだろう」
と願っていたが、気がつくことも無くいつしか退会されてた。
数年前(2016年頃)に、10数年ぶりに稽古に来た時口演すると、退会した当時のままで、演奏していて気絶しそうになった。
俺は元弟弟子だから批判されても良いけど、姉弟子やその兄弟子より芸歴の浅い人に、寄せばいいのにアドバイスまでしてたので、帰り道、餃子の王将でヤケ酒呑んで帰宅したのを覚えている。
今、その兄弟子みたいに横柄で音頭に対して失礼な態度になってて、再び、熱が失せかけているが、なんのために11年我慢したのか分からなく、その11年(演奏者としての発見も多かった)が無駄になると思い直す。
これは多分、退会した直後以来、こんなに自分の芸が、信じられなくなったのは人生で2度目。多分、それまで結構のらりくらりと避けて来ていた事が、コミックバンド結成以降(芸の修業は他ジャンルで1983年から89年頃まで。ただし音頭では無い)あまり無かった事。
しかも、前回は少し書いたが、やはり、唯丸、唯清、唯玉、退会した唯正叔父に1999年(だから楽器を演奏してない)のこと。
前回はどうやって克服したのだろうか?
今回はどの様に『江州音頭』と向き合って克服出来るんだろうか?
原因は『芸に対する驕り』しか無いだろう。
その解明に今から少しワクワクしている。
やはり、この年齢と芸歴になると、以前の様にのんびりしてる時間もないので、少しだけゆっくり、少しだけ急いで、時として様々な人々の助けを借りて、多くの人々の意見も聴いて解明していこうと思う。
(了)